生徒と仲良くするのも良いが、少なからず上下関係も必要


教育現場では子どもとの対立は避けられないが、悪い事ではない

自己の外部にある世界認識の仕方や「知」的構成力を受け入れて、自己の内部を「知」的に構成しなおしていくものである。自我が内部に発生するのも外部との差異・衝突によるものとすれば、自我が外部の「知」の構造を受け入れていくのも、「外部」からの圧力によるものである。自我はひとの内部でそれ自体で立っているものではないのだ。齋藤孝さんの教育論は明るく単純であるので、ひとや人間を安定した主語(主体)にして済ませてしまう。教育力も学習力もひとの内部から発生するものであると信じている。

共同体や外部からの強制などこれっぽっちも考えていない。だから、齋藤さんは「啓蒙」としての教育などという共同体や歴史が個人に強いる必然性が理解できないし、必要がないと思っているのであろう。齋藤さんの教育論は、言うなれば自我を中心に置く自己拡大運動なのである。経済における資本の自己増殖と同じである。自我を実体と捉えているとも言える。ただし、齋藤さんはひとの中心にあるのは自我だとは言っていない。齋藤さんはその点は何も言っていない。

齋藤さんが言っているのは、人間やひとであり、それもめったに主語としては表示されることがない文体になっている。現実的ではないが嫌な感じはしないおそらく、齋藤さんにとって人間やひとが主語であることは当然であり、ひとや人間はもう意味が確定しているのである。文中にめったに表示されない人間や人はほとんど連体的(うしろにくる名詞を修飾する形)に使われており、なぜか単独の主語(S)としてはあまり使われない。そして、面白いことに目的語(0)としてはまったく使われていない。
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そういう齋藤さんは誰に対しても〈魅力を放〉ち、自らの〈あこがれ力〉によって触発することができるだろうか。齋藤さんがどこかの場所でものすごく「あこがれ」ているとする。そこに偶然にいろいろな人が通りかかる。齋藤さんはみんなを自らの〈あこがれにあこがれさせる〉ことができるのか。

まず、日本語を知らない異国人は駄目であろう。言葉が通じないからである。学ぶという発想を持っていない人も駄目である。言葉を知っていても言葉が単にモノの名前だけでなく、観念や事柄を表象できることを知っていない人は触発されないであろう。つまり、すでに齋藤さんと同じ文化的な共通の規則を所有し、かつ、自ら学ぶ意欲を(齋藤さんに出会う前にすでに)持っている人でなければ齋藤さんの〈あこがれ〉に感応するはずがない。

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